身体応答デザイン事例集

回復期リハビリテーション病院における光環境デザイン:生体リズムと回復を促進する空間の事例

Tags: 医療建築, 光環境デザイン, 生体リズム, リハビリテーション, エビデンスベースドデザイン, 神経建築学

事例概要

本稿でご紹介するのは、東京都心近郊に位置する「曙光リハビリテーション病院」(仮称、以下「本施設」)の設計事例です。本施設は、脳卒中後の片麻痺、骨折後の機能回復、脊髄損傷後のリハビリテーションなど、主に運動機能障害を持つ患者を対象とした回復期リハビリテーション専門病院です。建築規模は地上5階建て、延床面積約8,000m²で、病床数120床を有しています。この事例は、特に「自然光の積極的な取り込みとそれに伴う生体リズムへの配慮」という身体感覚、すなわち「光覚」と「時間感覚」に着目した設計アプローチを特徴としています。主要な対象者は、入院環境における時間的・空間的感覚の喪失が回復プロセスに与える影響を鑑み、長期入院を要する患者全般です。

設計の背景と目的

本プロジェクトは、従来の病院建築が機能性や効率性を重視するあまり、患者の精神的側面や生活の質(QOL)への配慮が不足しがちであるという問題意識から始まりました。特に回復期のリハビリテーションにおいては、身体機能の回復だけでなく、患者が自身の生活リズムを取り戻し、精神的な安定を保ちながら回復への意欲を維持することが極めて重要です。しかし、一般的な病院環境では、人工照明に依存した閉鎖的な空間が多いため、日中の活動時間と夜間の休息時間の区別が曖昧になり、患者の概日リズム(サーカディアンリズム)が乱れやすいという課題が指摘されていました。これは、睡眠障害や抑うつ状態を引き起こし、結果としてリハビリテーションの進捗を阻害する要因となり得ます。

設計チームは、これらの課題に対し、光環境デザインを通じて患者の生体リズムを最適化し、精神的な安定と回復意欲の向上を促すことを主要な目的としました。具体的には、「時間」を身体で感じられる空間を創出し、外界との緩やかな接続を促すことで、患者の入院生活の質を向上させることを目指しています。

身体性・感覚への具体的なアプローチ

本施設では、光環境が身体に与える多面的な影響を考慮し、以下のような具体的なアプローチが採用されています。

  1. 自然光の最大活用と時間感覚の可視化:

    • 病室: 全ての病室は南向きまたは東南向きに配置され、大きな窓からは十分な自然光が取り込まれる設計です。窓辺には、太陽光の角度に応じた光の変化を視覚的に捉えやすいよう、あえて奥行きのあるカウンターを設けています。これにより、太陽の動きや時刻の移り変わりを患者が日常的に感じられるように意図されています。
    • 共用空間: リハビリテーション室、食堂、デイルームなどの共用空間には、高窓やライトシェルフが積極的に導入されています。これにより、直接的な日差しだけでなく、天井面や壁面に反射・拡散された柔らかな自然光が空間全体に行き渡り、時間帯による光の質(色温度、照度)の変化が明確に体感できるようになっています。特に食堂からは、朝日の昇る様子や夕焼けが望めるように開口部が配置され、食事という日々の活動を通じて時間感覚を呼び覚ます工夫が凝らされています。
    • 動線空間: 廊下やホールといった動線空間にも、外部に面した開口部や中庭への視線が確保され、閉鎖的な印象を排除しています。部分的に設置されたルーバーは、時間帯によって光と影のパターンを変化させ、空間に動きとリズムを与えています。
  2. 人工照明との統合制御:

    • 自然光の変動を補完し、生体リズムをサポートするため、人工照明システムは時間帯に応じて色温度と照度を自動的に調整する制御システムが導入されています。
    • 早朝には覚醒を促す高色温度・高照度の光を、夜間には入眠を妨げない低色温度・低照度の光を提供するように設定されています。個別の病室では、患者が手元で調光・調色できる機能も備えられ、個人のニーズに応じたカスタマイズも可能です。
  3. 多感覚への配慮:

    • 視覚: 窓外には四季折々の植栽を配した中庭や屋上庭園が設けられ、緑視率の確保により、自然景観がもたらすストレス軽減効果(バイオフィリア効果)を意図しています。色彩計画においても、光環境との調和を考慮し、自然を想起させる中間色を中心に採用されています。
    • 触覚: 床材には、リハビリテーションの目的に応じて、木材やカーペット、タイルなど異なる素材が部分的に用いられています。これにより、足裏からの触覚フィードバックを通じて、歩行訓練時の身体意識の向上や、空間のゾーニングを無意識のうちに認識させる効果が期待されています。
    • 嗅覚: 中庭や屋上庭園には、季節ごとに香りの異なる植物が植えられ、微気候制御の一環として、風に乗って自然の香りが館内へ緩やかに運ばれるよう計画されています。

学術的理論との関連

本施設の設計アプローチは、複数の学術的理論と概念に深く関連しています。

評価・効果(可能な場合)

本施設の運用開始後、特定の期間において、患者およびスタッフを対象とした評価が実施されました。

一方で、個々の患者の疾患や生活習慣、年齢によって光環境に対するニーズは多様であり、一律のシステムでは対応しきれない場面も散見されました。例えば、光に過敏な患者への配慮や、曇天が続く日の精神的影響への対策など、さらなる個別化の必要性が浮上しています。

まとめと示唆

「曙光リハビリテーション病院」の事例は、回復期医療施設において、光環境デザインが単なる視覚的な快適性を超え、患者の身体的・精神的な回復プロセスに深く寄与し得ることを示唆しています。自然光を積極的に取り入れ、時間経過に応じた光の変化を身体で感じられる空間を創出するアプローチは、概日リズムの調整、精神的安定、リハビリテーションへの意欲向上といった多角的な効果をもたらすことが明らかになりました。

この事例から得られる重要な知見は、建築設計が人間の生理的・心理的側面に与える影響の大きさと、それを計画的にデザインすることの学術的、実践的価値です。今後の建築設計においては、特に医療・福祉施設のように人間の健康と密接に関わる空間において、光生物学や環境心理学といった隣接分野の知見をより深く統合し、エビデンスに基づいたデザインを推進することが不可欠であると考えられます。

今後の研究の可能性としては、個々の患者の遺伝的背景や疾患の種類に応じた光環境の個別最適化に関する研究、IoT技術やAIを用いたパーソナルな光環境制御システムの開発、そして長期的な追跡調査による光環境デザインが患者の再入院率や社会復帰率に与える影響の評価などが挙げられます。これらの研究は、建築設計が医療分野に貢献する新たな道を拓くものとなるでしょう。